2008年04月18日
新垣淑伸氏を悼む
先週の水曜日、新垣カミ菓子店店主新垣淑伸氏の告別式に参列した。新垣カミ菓子店と私の両親とは、それぞれ小学校時代からご縁があるので、実家では私が生まれるずっと前から、ちんすこうといえば「新垣カミ菓子店」、花ぼうるといえば「新垣カミ菓子店」、闘鶏餃といえば「新垣カミ菓子店」、ちいるんこうといえば「新垣カミ菓子店」、薫餅といえば「新垣カミ菓子店」なのだ。これにとどまらず、2月に友人が熊本から遊びに来た時、私は「お土産にちんすこうを買うなら『新垣カミ菓子店』に限る」と勧め、律儀な肥後もっこすは同行者が国際通りで他店のちんすこうを買おうとするのを阻止して、わざわざ首里赤平町まで足を伸ばしてくれた。
私が故人と初めてお会いしたのは昨年の12月だった。父より2つ年上なのに若々しく、ご尊顔には穏やかな微笑みが湛えられていた。観光客向けのちんすこう量産のため、手間のかかる闘鶏餃を新垣カミ菓子店ではもう作っていないことを知って、私は「機械化は考えられていませんか」と質問し、すぐに「手作りにこだわっていらっしゃるだろうから、きっと叱られるな」と後悔した。しかし、店主は笑顔のまま「僕は教わった通りにしか作れないからねぇ…」と首の後をポリポリ掻かれた。故人とはこのあと電話で1度か2度お話しする機会があったけれど、お会いしたのはこの1度きりになってしまった。
祭壇に掲げられている遺影は、あの日と同じ笑顔だった。新垣淑伸氏があの世に旅立たれたのは誠に残念なことだけれど、手作りの琉球菓子は新垣カミ菓子店と共に残るだろう。そして私はちんすこうをはじめとする同店のお菓子を食べる度に、誇り高くて人当たりのいい職人さんを思い出すのだ。その微笑みと共に。合掌。
新垣カミ菓子店 http://arakaki-kami.com/
私が故人と初めてお会いしたのは昨年の12月だった。父より2つ年上なのに若々しく、ご尊顔には穏やかな微笑みが湛えられていた。観光客向けのちんすこう量産のため、手間のかかる闘鶏餃を新垣カミ菓子店ではもう作っていないことを知って、私は「機械化は考えられていませんか」と質問し、すぐに「手作りにこだわっていらっしゃるだろうから、きっと叱られるな」と後悔した。しかし、店主は笑顔のまま「僕は教わった通りにしか作れないからねぇ…」と首の後をポリポリ掻かれた。故人とはこのあと電話で1度か2度お話しする機会があったけれど、お会いしたのはこの1度きりになってしまった。
祭壇に掲げられている遺影は、あの日と同じ笑顔だった。新垣淑伸氏があの世に旅立たれたのは誠に残念なことだけれど、手作りの琉球菓子は新垣カミ菓子店と共に残るだろう。そして私はちんすこうをはじめとする同店のお菓子を食べる度に、誇り高くて人当たりのいい職人さんを思い出すのだ。その微笑みと共に。合掌。
新垣カミ菓子店 http://arakaki-kami.com/
Posted by 百紫苑=hakushon at 16:16│Comments(2)
│独言
この記事へのコメント
沖縄の昔ながらの菓子職人って感じですね~
尊い方をなくしたものですね~
尊い方をなくしたものですね~
Posted by マッシー!! at 2008年04月18日 18:32
返すがえすも残念です。
Posted by 百紫苑=hakushon at 2008年04月18日 19:40